港北ニュータウン 緑の会

 
 

港北ニュータウンの住民による森づくり活動は、1983年から入居が始まったけやきが丘団地で始まりました。団地には保存緑地(1ha)があり、これを住民で管理する必要がありました。そこで1984年に「けやきが丘森林愛護会」が住民有志23人で結成されました。ほとんどの会員はナタや鋸を持つのが初めてでした。竹の切り方、ナタの使い方などを勉強し、道具は横浜市からの補助金で用意し、それぞれに道具の管理を委託しました。共有地を有志で管理するということで、管理組合と1年近く話し合い保存緑地の管理を任されました。3年も経つと保存緑地は竹ヤブから雑木林になりました。この会の活動はその後、保存緑地の管理ばかりでなく団地のコミュニティーの中心となり、現在も餅つき会や作品展、森の祭りなど他地域の住民を含めた活 動に発展しています。

1986年、この保存緑地の隣に鴨池公園(8.8ha)が開設されました。この公園には約0.5haの池があり鴨池と呼ばれています。その前から清掃活動を行っていたけやきが丘森林愛護会の会員が中心になって近隣の住民に呼びかけ「鴨池公園愛護会」が結成されました。会員の精力的な活動で、荒れていた竹藪が3年で美しく蘇り、鬱蒼とした雑木林が足を運びたくなるような美しい林に変わってゆきました。映画のロケにも使われました。竹林や樹木の管理の他、小さな小川を使ったゲンジボタルの育成やトンボ池の設置なども行いました。

竹林や雑木林の残る自然公園に関わる市民団体が港北ニュータウン内にいくつかできてきたので、1992年に総合公園(19ha、現中央公園)を整備するシンポジウムを開催し、ネットワーク組織「港北ニュータウン緑の会」を結成しました。そしてまだ 整備されていない公園を美しくする活動を始めました。1997年に開設した大塚歳勝土遺跡公園(4.3ha)の竹林を整備したことを切っ掛けに、ここを港北ニュータウン緑の会の活動拠点にしました。この公園は弥生遺跡のある歴史公園です。この頃から、各市民の会の活動が会担当する地域に特化するようになり、港北ニュータウン緑の会から連絡会 の役割が無くなってきました。そこで、「雑木林塾」を中心にして市民の自然の生態、管理技術、育成などの能力の向上を図ることにしまし た。会員は横浜全域ばかりでなく東 京からも参加しています。ここで学 んだ会員は、それぞれの地域でも公 園などの自然の管理育成の活動をやっています。一方で、この公園の活動に特化した「大塚歳勝土遺跡公園愛 護会」を作りました。

港北ニュータウン緑の会

はじめに


横浜市北部、都築区を中心に広がる港北ニュータウン地区は、昭和40年頃から開発が始まり昭和60年頃に終わってできた街です。ここでは「グリーンマトリクス」の概念で緑地保存が計画的に行われてきました。これは、開発前の昔の谷戸の緑を1~2割、公園や保存緑地として各地に残しこれらを緑道で結ぼうという企画です。これにより緑を孤立させず生き物の住処の領域を広げようという考えです。それから30年が経ち、街が大きくなって今はどうなっているのでしょうか。タヌキは見かけるこ とはありません。蛇もほとんどいません。しかし、何とか街中に残った自然を保全し育成しようと市民が市と協力して頑張っています。

ここでは、港北ニュータウン緑の会が、市民の力で竹林と雑木林を保全・管理して来た経緯を紹介する。開発中に管理されないまま元雑木林であったところは竹で覆われていた。また、池は外来種の魚が繁殖し日本の固有種が絶滅しかけていました。そこで、池をかい堀りし、竹林を皆伐し、植林して雑木林を復活させてきました。そして、トンボの種類と数の変化、竹林から雑木林への植生の変化を植物の種類と量で毎 年数回の自然観察会を行い調査してきました。この調査結果と竹林・雑木林の管理に ついて紹介します。

港北ニュータウン緑の会の設立と活動